CLUB AMY 365

山田詠美の文章をご紹介。詠美さんご本人の掲載許可済です。

2023-01-01から1年間の記事一覧

Day 258th 熱帯安楽椅子

雨は止まない。私たちの遊びは続く。外は洪水になり、私の記憶は霧になる。目に入るのはグダン・ガラムの赤い箱。そして、決して私を探ろうとはしない私の太股に置かれた彼の左の手。私は溜息をつく。そして、彼も。何故なら私の右ても彼の脚の間を可愛がっ…

Day 257th 熱帯安楽椅子

蜂蜜は巣ごと新聞紙の上で売られている。お尻を穴から出したまま死んでしまった蜂たち。蜜にくるまっているおいしい死骸。私もそのうち、きっとそういうふうになる。山田詠美「熱帯安楽椅子」『熱帯安楽椅子』より このシーンも読者に強烈な印象を残す。『熱…

Day 256th 熱帯安楽椅子

私は、転がっている熱帯の果物を踏まないように市場の中を通過する。折りたたまれたバナナの葉に流し込まれた粥を無心に食べ続ける少年。その濡れた唇は反吐を吐いたばかりのように見える。唾液の含まれたおいしい食べ物。私に不快感はない。目の前にくり広…

Day 255th 熱帯安楽椅子

果物は強過ぎる香水のように私の頭を痛くする。山田詠美「熱帯安楽椅子」『熱帯安楽椅子』より 何気ない文章なんだけど、香水好きだし、バリ島の市場でぼくもまったく同じことを思ったので、思わずこの部分だけを取り上げてしまいたくなったのだ。バリ島の朝…

Day 254th 熱帯安楽椅子

太陽は真上にある。デンパサール市内に入ると急に空気は動き始める。果物籠を頭に載せた女たちが歩きまわり、甘い匂いを振りまいている。子供たちは路上にしゃがみ込み臓物のスープを啜り上げる。その強烈な匂い。私は好奇心に駆られて運転手を促して車を降…

Day 253rd Crystal Silence

「私、あの島で色々なものを味わったわ。甘いお砂糖。苦い海の生きもの。塩辛い海の水。でも、一番おいしかったのって、彼の私に向けられたあの視線だったわ」 ちょうど、そのお酒のように? 私は心の中でマリに問いかける。彼女は泣き笑いをしながら、グラ…

Day 252nd Crystal Silence

「割りきってるの?」「まさか⁉ 私、そんなに大人じゃない。ううん、大人だったら、余計そう。遊びじゃない、真剣になって恋に落ちる瞬間が、そんなに沢山はやって来ないこと、よく解ってる。私、彼が好きよ」山田詠美「Crystal Silence」『放課後の音符』よ…

Day 251st Crystal Silence

そういう付属品が、もしなかったとしても、素敵な人間って、いったい私のまわりにどれだけいるだろうか。空や海や砂の中に裸で立っただけで、他の人を幸福にさせるような人なんて、どのくらいいるだろうか。音楽をバックグラウンドにしてロマンスを生むこと…

Day 250th Crystal Silence

私たちの生活って、色々なディティルによって動かされすぎているんじゃないかと、時々思ってしまう。たとえば、あそこのブランドのお洋服が欲しいからアルバイトをするとか、誰々は、どこそこのお店に出入りしているから格好いいとか。でも、それは自分の価…

Day 249th Crystal Silence

その内、彼の顔がはっきり見えるようになったから、陽ざしに目が慣れて来たのかしらと思ったけど、時間がたって、太陽が動いたのね。彼の影が、私の顔の上に落ちていた。まるで日時計みたい。そう思うと、ますます彼がいとしくなったわ。体は、じりじりと灼…

Day 248th Crystal Silence

陽ざしが眩しくて、彼のことも見えなかったわ。彼は、それなのに静かな目で私を見ていたみたい。太陽は彼の背中の上にあったから、瞳をよく働かせることが出来たのね。彼の耳が聴こえないように、私の目も見えなかった。私たち、ちょっとかわいそうな動物み…

Day 247th Crystal Silence

「今、思い出すと、彼の体が海の水以外のもので濡れるのって、私と愛し合った時だけだったみたい」 本当に熱かったのね。私は心の中でそう呟いて、見たこともない南の島の少年を思い浮かべる。そして、男にとって、好きな女の子が流させた汗というのは、どう…

Day 246th Crystal Silence

「ロマンティックね」「というより、なんだか悲しい気持だった」「どうして?」「あまりに幸せだったから」 私は彼女の気持が解るような気がする。陽ざしがあまりに明るいと目の前が暗くなるように、人の心にも余分な影を落とす程の幸福というのがあるものだ…

Day 245th Crystal Silence

「彼は誘って、私は誘わせたわ。ううん、どちらからともなくって感じかなあ。彼は、じっと私を見詰めてた。私のことを欲しいんだって、よく解ったわ。私も彼と同じように瞳を使ったの。えっ? どういうふうにって……欲しいものがこんなに目の前にあるのに、ま…

Day 244th Crystal Silence    

「私の口も、その時、きけなかったわ。耳だって聴こえなかったわ。あんなに騒がしい波の音だってよ。でもね、音のないものの音が、聴こえる瞬間て、恋をしているとあるものなのよ」山田詠美「Crystal Silence」 『放課後の音符』より 恋をしている瞬間にいつ…

Day 243rd Crystal Silence

「そうよ。そういえば、砂糖きびの畑にも行ったわ。私、初めてで、どうやって味わうのか解らなかった。彼が茎を切って、私に渡したの。それを彼がするように噛みしめたの。甘い味が広がったわ。生暖かくて、すごくだらしない甘い味。太陽って、ずい分、いや…

Day 242nd Crystal Silence

「(続)素敵だった。余分な音がないの。波の音や風の音が自分の気分の動きによって色を変えるのよ」山田詠美「Crystal Silence」『放課後の音符(キーノート)』より 詠美の文章にはしばしばドキッとさせられる。上記のフレーズもそう。これは都会では味わ…

Day 241st Crystal Silence

暑かったわ。クーラーなんて、ない。彼は、それなのに汗なんてかいてなかった。慣れてるのね。島の気候に。そこから出たことなんてない子だもの。いつも髪の毛を潮風にさらして、気分良さそうだったわ。でも、私はそうは行かなかった。じっとしてるだけで、…

Day 240th Crystal Silence

「(続)でも、離れた場所から、彼の姿を見つけるでしょ。真っ黒な顔で私を見て、すごく嬉しそうに笑うのよ。その時の白い歯を見ると、私の胸、痛くなった。心にも体にも、あれで噛み跡を付けて欲しいって思ったわ。いても立ってもいられないの。男が欲しい…

Day 239th Crystal Silence

本当に静かで素敵な島よ。でも、普通の娘たちにはきっと解らない。何もかもが自然のまま放って置かれている場所だもの。あの男の子もそう。あたしにしか価値が解らない。いつも、ぼろぼろの短パンとTシャツしか身に付けていなかった。髪の毛なんて、脱色され…

Day 238th Crystal Silence

私は、人気のない砂浜に寝そべるマリとその男の子を想像した。私は、すっかりどぎまぎしていた。あっさり、寝ちゃったのなんて言われるより、彼女の言葉は、はるかに私の想像をかき立てた。じりじりと陽に灼ける体を気遣うことも忘れて、耳に唇を付けるマリ…

Day 237th Crystal Silence

「もう! あんたも、雑誌やあの女の子たちに毒され始めてる。私が言ってるのって、そんなことじゃないの。たとえば、彼は耳が聴こえなかったわ。でも、私の息を吹きかければ、私が何を望んでいるのかがすぐに解るような耳だったわ。私の息が喜んでいるのか悲…

Day 236th Crystal Silence

「そんなに驚かないで。私だって、恋をする時は、共通の話題とか、お互いの将来のこととか、話をいっぱいするもんだって思ってた。でも、不思議ね。そんなものって男と女の間に必要ない場合もあったのよね」山田詠美「Crystal Silence」『放課後の音符(キー…

Day 235th Crystal Silence

「正直言ってさ、冷房のきいた都会のラウンジで飲むジントニックなんて、おいしくないの。でも、この味で、私、彼と私の間で創り上げたものを思い出すことが出来るの」山田詠美「Crystal Silence」『放課後の音符(キーノート)』より 山田詠美の『放課後の…

Day 234th 熱帯安楽椅子

卵は目を閉じて微笑する。私は目を開けたまま微笑する。甘いオレンジのプレザーブ。私はパンをかじりコーヒーを啜る。シャンペンの泡は舌の上で消え、喉許を親切に通り過ぎる。すべては幸福に見える。すべてが幸福に。山田詠美「熱帯安楽椅子」『熱帯安楽椅…

Day 233rd 熱帯安楽椅子

南の国の生暖かい風。ブラインドの代わりを果す椰子の葉。グダン・ガラムは私の香水にある。きっと。私は自堕落な死体になる。あるいは、物解りの良い人形に。腐臭を漂わせない死体になることが、どれ程困難であるかに、まだ私は気付いてはいない。山田詠美…

Day 232nd 熱帯安楽椅子

私はもののの見えるめくらになる。テラスを行き来する十二インチ程もある蜥蜴、そして明らかに私に興味を抱き始めた制服のウェイターの鳶色の瞳などだけが私の角膜を刺激する。私は微笑することが出来る。朝のピンクシャンペンに酔ったうすら笑いを浮かべる…

Day 231st 熱帯安楽椅子

自分の外側にあるものたちに腹を立てて、その後、絶望すること。それはばかげている。私の手の下の麻のテーブルクロスや黄ばんだコーヒーのためのクリームには何の責任もないのだから。絶望のみなもとは私の内だけにある。それでいい。周囲のものたちに見捨…

Day 230th 熱帯安楽椅子

私の目の奥では沢山の色彩が焦点を結ぶ。華やかに、あるいは俗悪に。私はそれらの中で溺れかけて救いを求めて頭を抱え込む。私の睫毛は私を助けるべく下瞼をくすぐり始める。それが始まると私は反射的に目を開く。すると、そこには無関心な海や呑気な空が広…

Day 229th 熱帯安楽椅子

目を閉じることは、決して幕を閉じることと同じではない。私の細胞は記憶力が良過ぎるから。瞼を閉じた時から私の苦しみは始まる。あの男が愛したイタリアの赤ワイン。そして、彼が好んで身に着けた砂色の衣服や私がそれに手をかけた時に生まれる灰色の皺。…