CLUB AMY 365

山田詠美の文章をご紹介。詠美さんご本人の掲載許可済です。

2023-01-01から1年間の記事一覧

Day 288th イクメン父いろいろ

イクメン。もう、はやってないから! それ、ただの父親の義務だから! 大変な思いをして子供の面倒を見ざるを得ない父親もいれば、ファッション感覚で的外れなアピールをしている奴もいる。色々です。そういや、イクメン志願のふりして、奥さんの妊娠中に他…

Day 287th きのこ愛ラプソディ

ところで、私は大のきのこ好き。秋はもちろん年中毎日のように食べています。我が家のカレーの具は何が何でもきのこだけは外せません。山田詠美「きのこ愛ラプソディ」『吉祥寺デイズ: うまうま食べもの・うしうしゴシップ』より 詠美さんの家に遊びに行くと…

Day 286th 写真週刊誌に愛憎こもごも

人の死も不倫も汚職も災害も、何もかもが一枚の写真の許で一緒くた。でも、そこでは、希望や幸福や喜びも同列に並べられているのでした。ちなみに、私がデビューしたのも八五年。嬉しさも口惜しさも写真週刊誌が運んでくれました。写真は嘘をつかないけれど…

Day 285th ジェントルマン

母は束縛される人となった。彼女は、自分をついばんでは去って行く男たちとの過去に倦み疲れ、誰かのものとなるのを切望していたのだろう。がんじがらめにされて楽になりたかったのだ。そこには、もう、何も選択する迷いも必要もなく、ただ身を永遠にそこな…

Day 284th 自堕落ポンちゃん

作家は先生と呼ばれる。私でさえ、時々、呼ばれる。でも、それは一体、何故なんだろう。人に物を教える人を先生というのだと思っていた。私の作品が人に物を教える人を先生というのだと思っていた。私の作品が人に物を教えているだろうか。私は人に物を教え…

Day 283rd 道徳より公衆道徳

御仕着せの道徳教育では、真の道徳心など育たない。だって、それは、ひとりひとりが親を始めとする大人たちを見て、自分の力で発見して行かなくては、自身に取り込めないものだから。山田詠美「道徳より公衆道徳」『4 Unique Girls :特別なあなたへの招待状…

Day 282nd 司法修習生カビを語る

カビ……黴と表記したいところですが、この漢字自体が嫌なルックスです。実は、秋が一番、カビが繁殖しやすい季節なのだとか。過ごしやすい季節というのは微生物にとっても同じなんでしょうか。食中毒も、本当は夏より秋口の方が多いらしいのです。山田詠美「…

Day 281st 熱帯安楽椅子

今思うと、私があれ程、嫌悪して、そして逃れられなかった肉体、それが私の心や行動を支配するということは、ありがちのことのように思える。それは、とても具体的であるから。けれど、その逆は生きて行く中で一度あるかないかのように思える。始まりは、い…

Day 280th 熱帯安楽椅子

私は口がきけなかった。私はこの島の夕陽を知っていたが、夕陽の忘れものを知らなかった。波は砂を舐めて動き、転がる金の雫は夕暮れの闇に混じって藍色になる。金箔は足許ではかなくたゆたい、私は泣きたくなる。山田詠美「熱帯安楽椅子」『熱帯安楽椅子』…

Day 279th 熱帯安楽椅子

彼は静かに指を差した。私はその方向に目をやり息を飲んだ。濡れた砂は沈んだばかりの夕陽を吸い込んで私たちの前に広がっていた。それは海に落ちる夕陽の色よりもはるかに赤いのだった。白い砂は打ち寄せる静かな波のベールをかけて黒く化粧をする。そして…

Day 278th 熱帯安楽椅子

嫉妬は、私の場合、肉体から生まれた。肉体を束縛したいと思うことから始まっていた。今、この島で私はそうは思わない。私は瞬間という言葉を愛する。それは、空気であり、それを作り出す男の肌であり、私へのいたわりに満ちた男の瞳であり、それを受け止め…

Day 277th 熱帯安楽椅子

肉体が心を支配した。それに気付いた女は、どれ程自分を哀しく感じるか、男たちは知っているだろうか。どうしてなのだろう。私はひとりきりでそう考えていた。あの自分の体に快楽を与えいていただけの棒がいったい何故、こんなにも私をせつなくさせるのだろ…

Day 276th 熱帯安楽椅子

私は彼の心に嫉妬することはなかった。ただ彼の肉体に嫉妬していた。私が男を愛する方法。それは体を与えて体を奪うということだったのだ。つたない私を彼はどんなに蔑んでいただろうか。飴玉を取り上げられ拗ねているただの子供。彼はきっと私のことをそう…

Day 275th 熱帯安楽椅子

私は自分の体の上にある男の皮膚を愛している。そして、その皮膚が生み出す私への愛情を私は愛している。私が彼を愛していると知らせたくて体を反応させる。そして、それを知った彼は自分もそうなのだと伝えたくて体を使って見せる。愛することは気楽だ。そ…

Day 274th 熱帯安楽椅子

男は私のなりゆき。そして、それこそが私の愛するものであったことを私は思い起こす。男の肌はいとしい。そして、男の吐息が調合する空気はかけがいのないものだ。愛しているという言葉、それはただの音楽だ。美しい音楽。軽々しく使われるべきあどけない言…

Day 273rd 熱帯安楽椅子

私はぼんやりと雨を聴く。何度、この音を聴いたことだろう。時には同じ音、そして時には違う音。いずれにせよ、今日のように熱い調べを私は聴いたことがない。何故だろう。何故、今日は違って聴こえるのだろう。私の心臓は雨の音に同調する。私の皮膚は譜面…

Day 272nd 熱帯安楽椅子

私は急速に喉の乾きを覚える。激しくなりつつある雨がポーチに降りかかる。けれど、私の乾きは雨では癒せない。山田詠美「熱帯安楽椅子」『熱帯安楽椅子』より ここでいう「喉の乾き」というのは、具体的にはどういうことを言うのであろうか。それは心の乾き…

Day 271st 熱帯安楽椅子

ワヤンが鍵を開けている間、私は屋根付きのポーチに置いてある籐椅子に腰をかける。そして、濡れたサンダルを足から外すために、テーブルに片足を載せる。サルンの前が割れ、私の脚の間からは暖まった匂いが流れ出して、ジンのそれに溶ける。山田詠美「熱帯…

Day 270th 熱帯安楽椅子

それになにより私に具体的な快楽を与えるとても物覚えのよい器官を持っている。そして、品の良い言葉を。必要のない、だからこそ、美しい音楽のように私の耳を濡らす言葉を。彼はひかえめな冗談も好きだ。私をくすぐる甘い冗談。私の指が生み出す心の吐瀉物…

Day 269th 熱帯安楽椅子

私は自分の喉に届くものをすべて受け入れる。けれど、時には私の力の脱けた唇は彼の口づけをこぼしてしまうこともある。そんな時だけ、彼は少し意欲を持ち私の顎を片手でつかみ上を向かせる。決して押しつけがましくないやり方で。彼は私の心を、そして体す…

Day 268th 熱帯安楽椅子

私は寺院の塀に寄りかかりワヤンと口づけをかわす。人気のない場所で私たちが目を合わせると彼の瞳は私に向かって溶けて来る。私は彼の唇を啜り込みながら、落ち着いてそれを味わう。それは酒のように芳醇ではなく、水のように乾きを癒すわけでもない。口に…

Day 267th 熱帯安楽椅子

私は、あの時、自分の心の中で嫌悪と愛情が口づけをかわしながら踊るのをはっきりと見た。そして、それは執着。執着という形で生き延びるのだ。私は、あの時、とても生きていた。望んで生きるということは諦めを知らないということだ。可哀想に。私は今、あ…

Day 266th 熱帯安楽椅子

私はワヤンに抱かれ続けた。夜が明けるまで。彼は私を胸や腕や肩で抱く。そして、私は彼を溜息や叫びや快楽を訴える表情で抱く。私は男をそうして抱くのが好きだ。私の体は、とても饒舌になる。シーツから浮き上がった腰。彼の髪を梳く指。汗で毛の数本を引…

Day 265th 熱帯安楽椅子

漁師が砂を踏む音は鉄道員が雪を踏む音に似ている。音の主が見えない。けれど、証拠としての足跡はひとつひとつ残されて行く。何故、私はこんな時に冷たい雪を思い出すのか。情事の後の砂は、時折、雪に似てはかない。銀色。冷たい。熱い。そして溶ける。山…

Day 264th 熱帯安楽椅子

木立の隙間で、月は切り抜かれた金色の紙。砂は逆らわないのにそこに映える草は私の背中を刺したがる。波は木々の向こうで生きている。私は横たわったまま放心している。やっと給仕された私の夕食。降り注ぐ星が層を成す彼の裸の背。私の髪は砂に流されて風…

Day 263rd 熱帯安楽椅子

ワヤンという名前を私は彼のシャツのネームタグで覚えた。この島に数多くばらまかれている記号のような名前。私は沢山のワヤンを知っている。沢山のワヤンに触れたことがある。けれどその名前はひとつだけなのだ。私はワヤンの肌を知っている。この一文で私…

Day 262nd 熱帯安楽椅子

私は楽をしたいと思っている。それは、もしかしたら、また小説を書きたいと思っていることを表わしているのかもしれない。私は、苦悩の中から物語を見出すあのご苦労な人々とは違っているのだから。私の指は役目を失くした怠惰な日常をものにすることで初め…

Day 261st 熱帯安楽椅子

このようなお遊びを私は今まで文字に変えてお金を稼いで来た。それはとても許しがたいことだと人々の目には映ったことだろう。けれど、彼らにはどうすることも出来なかった。彼らは私を特別だと思っていたし、そして、私が好きだった。私の行動、そしてこの…

Day 260th 熱帯安楽椅子

私が快楽を乗り越えるまで止んではいけない。私は雨にそう言う。私たちの小さな箱には覆いが必要だ。その内側で、空気は濃密になり過ぎて結晶を作る。熱帯のスコールはあくまで毅然としていて、私は少し恥じる。目の前にある湿った肌を吸い取り紙に使う私自…

Day 259th 熱帯安楽椅子

私は彼の髪をつかみ上に向かせて唇を奪う。そこには私が裂け目から湧き出させる快楽が流れている。そこに棲息しているあの男の欲望の産物を私は殺すのだ。私は彼の股間に口をやる。南の国の熱。私の心は消毒されて行く。水田は溢れる。そして、私たちは溺れ…