2023-08-01から1ヶ月間の記事一覧
「そうよ。そういえば、砂糖きびの畑にも行ったわ。私、初めてで、どうやって味わうのか解らなかった。彼が茎を切って、私に渡したの。それを彼がするように噛みしめたの。甘い味が広がったわ。生暖かくて、すごくだらしない甘い味。太陽って、ずい分、いや…
「(続)素敵だった。余分な音がないの。波の音や風の音が自分の気分の動きによって色を変えるのよ」山田詠美「Crystal Silence」『放課後の音符(キーノート)』より 詠美の文章にはしばしばドキッとさせられる。上記のフレーズもそう。これは都会では味わ…
暑かったわ。クーラーなんて、ない。彼は、それなのに汗なんてかいてなかった。慣れてるのね。島の気候に。そこから出たことなんてない子だもの。いつも髪の毛を潮風にさらして、気分良さそうだったわ。でも、私はそうは行かなかった。じっとしてるだけで、…
「(続)でも、離れた場所から、彼の姿を見つけるでしょ。真っ黒な顔で私を見て、すごく嬉しそうに笑うのよ。その時の白い歯を見ると、私の胸、痛くなった。心にも体にも、あれで噛み跡を付けて欲しいって思ったわ。いても立ってもいられないの。男が欲しい…
本当に静かで素敵な島よ。でも、普通の娘たちにはきっと解らない。何もかもが自然のまま放って置かれている場所だもの。あの男の子もそう。あたしにしか価値が解らない。いつも、ぼろぼろの短パンとTシャツしか身に付けていなかった。髪の毛なんて、脱色され…
私は、人気のない砂浜に寝そべるマリとその男の子を想像した。私は、すっかりどぎまぎしていた。あっさり、寝ちゃったのなんて言われるより、彼女の言葉は、はるかに私の想像をかき立てた。じりじりと陽に灼ける体を気遣うことも忘れて、耳に唇を付けるマリ…
「もう! あんたも、雑誌やあの女の子たちに毒され始めてる。私が言ってるのって、そんなことじゃないの。たとえば、彼は耳が聴こえなかったわ。でも、私の息を吹きかければ、私が何を望んでいるのかがすぐに解るような耳だったわ。私の息が喜んでいるのか悲…
「そんなに驚かないで。私だって、恋をする時は、共通の話題とか、お互いの将来のこととか、話をいっぱいするもんだって思ってた。でも、不思議ね。そんなものって男と女の間に必要ない場合もあったのよね」山田詠美「Crystal Silence」『放課後の音符(キー…
「正直言ってさ、冷房のきいた都会のラウンジで飲むジントニックなんて、おいしくないの。でも、この味で、私、彼と私の間で創り上げたものを思い出すことが出来るの」山田詠美「Crystal Silence」『放課後の音符(キーノート)』より 山田詠美の『放課後の…
卵は目を閉じて微笑する。私は目を開けたまま微笑する。甘いオレンジのプレザーブ。私はパンをかじりコーヒーを啜る。シャンペンの泡は舌の上で消え、喉許を親切に通り過ぎる。すべては幸福に見える。すべてが幸福に。山田詠美「熱帯安楽椅子」『熱帯安楽椅…
南の国の生暖かい風。ブラインドの代わりを果す椰子の葉。グダン・ガラムは私の香水にある。きっと。私は自堕落な死体になる。あるいは、物解りの良い人形に。腐臭を漂わせない死体になることが、どれ程困難であるかに、まだ私は気付いてはいない。山田詠美…
私はもののの見えるめくらになる。テラスを行き来する十二インチ程もある蜥蜴、そして明らかに私に興味を抱き始めた制服のウェイターの鳶色の瞳などだけが私の角膜を刺激する。私は微笑することが出来る。朝のピンクシャンペンに酔ったうすら笑いを浮かべる…
自分の外側にあるものたちに腹を立てて、その後、絶望すること。それはばかげている。私の手の下の麻のテーブルクロスや黄ばんだコーヒーのためのクリームには何の責任もないのだから。絶望のみなもとは私の内だけにある。それでいい。周囲のものたちに見捨…
私の目の奥では沢山の色彩が焦点を結ぶ。華やかに、あるいは俗悪に。私はそれらの中で溺れかけて救いを求めて頭を抱え込む。私の睫毛は私を助けるべく下瞼をくすぐり始める。それが始まると私は反射的に目を開く。すると、そこには無関心な海や呑気な空が広…
目を閉じることは、決して幕を閉じることと同じではない。私の細胞は記憶力が良過ぎるから。瞼を閉じた時から私の苦しみは始まる。あの男が愛したイタリアの赤ワイン。そして、彼が好んで身に着けた砂色の衣服や私がそれに手をかけた時に生まれる灰色の皺。…
目は開けなくては。けれど何も見たくない。私は、朝だというのにシャンペンを頼む。少しあきれた表情のウェイター。いいじゃないの。私は目を開いたままでうたた寝をしたいのよ。私は酒に酔った年老いた猫になる。目の前の卵も今度は目を閉じている。波の音…
太陽は熱くて銀の食器は濃い影を作る。私は眩しさに目を閉じる。すると、私の心の中の幕は降り、私は余計なことを思い出さずにすむのだ。私には何も見えない。私は今日から何も見ないことに専念するだろう。陽ざしは私の後頭部を灼き、それから体の芯を暖め…
それはね、きみ、愛、あるいは憎しみが、心の中に腫瘍を作ってしまったのだよ。きみは、今、幸せだと、幸せの意味も知らないのに、そう感じているかもしれないが、きみは、なんと言っても女の体を見てしまったのだ。父親の体に押しつぶされている女の体を見…
初めての夏を通り越して来たその赤ん坊は、もう既に陽に灼けている。彼は、生まれたてのくせに、母親以外の女の体を見たことがある。成長して行く過程において、彼がそのことを忘れて行ってしまうのは、残念なことだ。人間がどんなに身勝手で、そして、強い…
でも、懐かしいとか、そんな気持じゃあないんだ。なんだか、自分が、ずいぶんと昔に、引き戻されて、無理矢理、実家の縁側に座らせられるような気持。気が付くと、クーラーのきいた自分の部屋にいて、ああ、よかった、私、ちゃんと大人だって思って溜息をつ…
私は、もうずっと昔から、弟以外の肉親とは縁を切っている。思い出すこともあまりない。だけど、夏休みの時期に朝顔の花が咲いていたりするのを見ちゃったりすると、ふっと、家族の顔を思い出す。でも、懐かしいとか、そんな気持じゃあないんだ。山田詠美「…
たとえば、ガレスピーのトランペットが、キスの雨のように聞こえる場所がある。音楽が場所を限定し、場所が時を限定し、時が心を限定するその瞬間、音楽は音楽でありながら心象を切り取るナイフの役目を果たすのだ。私は、そんなナイフを無理矢理持たされた…
男と女って、まったく面倒だわ。体で魅かれ合って、それに飽きた瞬間に、離れられない関係になる。体が離れられないなんていうのは、まったくの嘘。離れられなくなるのは心が結びつき始めるからよ。体も心も結び付いて離れられないのは、だから一瞬なのね。…
「涙が出る程、恋しいのは、発情期だからよ。お互いがお互いを欲しいと思うから、せつない気持になるのよ。それが男と女よ。まだ肉体的なつながりを持たない関係ならなおさらよ。信頼関係ってのは、寝てみて、初めて生まれるものなのよ」山田詠美「花火」『…
手書きの文字は気恥ずかしいです。でも、その恥を知ることが出来るからこそ、抑制が効く。書きたいことより書きたくないことの方が多い私という小説家を理解してくれる若手編集者が、ひとりでもいてくれる内はこのまま書き続けたいです。山田詠美「アイ ラブ…
ところで、バリに行くのは今回が5回目である。いつもは山奥に泊まるんだけど、今回は短い滞在なので、思い切り豪華なところに泊まることに決めた。レギャンの奥に、とっても素敵なホテルがあるのだ。石垣に囲まれたプライベイトヴィラにたった一人で泊まっ…
私は、うんざりしました。すっかり夏休みのリズムが出来上がっているのです。それなのに、あんな埃っぽい街に行くなんて。私は、自分では、本当の贅沢を知っているつもりでいました。普通の若い人たちのように、夜遊びや流行の洋服などには何の興味も持って…
頭の良い奴は、大抵の場合、超ダサですが、私は、アバンギャルドなセンスも持ち合わせているので、益々、分が悪いんですよね。ほんと、この世の中のことを考えると、私の頭の中のテクストはパラドックスでいっぱいですよ。まさに世紀末って感じです。山田詠…
二人の間で、口づけは、いつも不測の事態。そして、永遠にそうでありたい、と感じた。山田詠美「A2Z」『A2Z』より 何度もこのブログで言っているかもしれないが、山田詠美の『A2Z』は、おしゃれな恋愛小説だとぼくは思っている。でも、単におしゃれなだけで…
「私ね、一緒にトイレに行くような友達なんていらないって思ってたの。女の子が、あまり好きじゃなかったのよ。男といる方が、楽しかったわ。彼らの方がいい意味でも悪い意味でも正直だもん。でもね、今回、ある男の子と恋をしたら、うんと誰かにその話を聞…