CLUB AMY 365

山田詠美の文章をご紹介。詠美さんご本人の掲載許可済です。

小説『熱帯安楽椅子』

Day 231st 熱帯安楽椅子

自分の外側にあるものたちに腹を立てて、その後、絶望すること。それはばかげている。私の手の下の麻のテーブルクロスや黄ばんだコーヒーのためのクリームには何の責任もないのだから。絶望のみなもとは私の内だけにある。それでいい。周囲のものたちに見捨…

Day 230th 熱帯安楽椅子

私の目の奥では沢山の色彩が焦点を結ぶ。華やかに、あるいは俗悪に。私はそれらの中で溺れかけて救いを求めて頭を抱え込む。私の睫毛は私を助けるべく下瞼をくすぐり始める。それが始まると私は反射的に目を開く。すると、そこには無関心な海や呑気な空が広…

Day 229th 熱帯安楽椅子

目を閉じることは、決して幕を閉じることと同じではない。私の細胞は記憶力が良過ぎるから。瞼を閉じた時から私の苦しみは始まる。あの男が愛したイタリアの赤ワイン。そして、彼が好んで身に着けた砂色の衣服や私がそれに手をかけた時に生まれる灰色の皺。…

Day 228th 熱帯安楽椅子

目は開けなくては。けれど何も見たくない。私は、朝だというのにシャンペンを頼む。少しあきれた表情のウェイター。いいじゃないの。私は目を開いたままでうたた寝をしたいのよ。私は酒に酔った年老いた猫になる。目の前の卵も今度は目を閉じている。波の音…

Day 227th 熱帯安楽椅子

太陽は熱くて銀の食器は濃い影を作る。私は眩しさに目を閉じる。すると、私の心の中の幕は降り、私は余計なことを思い出さずにすむのだ。私には何も見えない。私は今日から何も見ないことに専念するだろう。陽ざしは私の後頭部を灼き、それから体の芯を暖め…

Day 191st 熱帯安楽椅子

私は噴き出した。嘘よ。本当は好き、軽口は人生を楽しくする。そして、目の前の男は、それを知っている。山田詠美「熱帯安楽椅子」『熱帯安楽椅子』より 一昨日からの一連のシーンの中でのやり取りの後のこの文章にも詠美らしさが表れている。ホテルのボーイ…

Day 190th 熱帯安楽椅子

海辺に置かれたテーブルに肘を着いたまま、私はそのウェイターを見詰める。白い朝のテーブルクロスが朝の陽ざしを反射させ、私には眩し過ぎて彼の顔が良く見えない。山田詠美「熱帯安楽椅子」『熱帯安楽椅子』より 昨日の続きのシーン。このシーンは「熱帯安…

Day 189th 熱帯安楽椅子

朝食の卵を彼がまちがえたのが始まりだ。目玉焼きをひっくり返して(トウエッグスオーバーミディアム)、と注文したのよ。私は生卵が嫌い。生きているように見えるから。私、ひっくり返してないのは食べられないの。困惑した私に、ウェイターは、少しも悪び…

Day 175th 熱帯安楽椅子

私は男が好きだった。私は暖かくて甘いものが好き。それは私をとても心地良くさせる。私はいつもそういうものを捜し求めていた。たとえば、私の舌を可愛がるお酒。私を思いきり甘やかすお金。山田詠美「熱帯安楽椅子」『熱帯安楽椅子』より 昨日ご紹介した箇…

Day 174th 熱帯安楽椅子

私は小説を書いていた。そして、お遊びが好きだった。私は体に張り付いたドレスを身につけていつも街を歩いていた。それは時折私のピジャマになり、私の体の下でいくつもの皺を作った。山田詠美「熱帯安楽椅子」『熱帯安楽椅子』より 『熱帯安楽椅子』は世界…

Day 92nd「熱帯安楽椅子」

私は目を閉じる。たぶん彼の唇はわたしのそこに降りて来るだろう。けれど降りて来たのは唇ではなかった。私の瞼に雨が降る。私は驚いて目を開ける。そして開いた目でトニの涙を受け止めてしまう。彼の涙は何度も私の瞳を打ち付け、私の視界はかすむ。空はこ…

Day 61st「熱帯安楽椅子」

手始めに、男の顔に、唾を吐いた。そして、それから、私を取り巻くすべてのものに。その後、私はとても疲れた。私は、ずっと気付かずにいた。自分をとても強いと感じて微笑していた。けれど、体内に徐々に蓄積されて行くアレルギー物質のように、私の心には…