CLUB AMY 365

山田詠美の文章をご紹介。詠美さんご本人の掲載許可済です。

Day 91st    「めざせ、読者のなれの果て」

いい加減さをマスターしたのか、世にいわれる「こだわり」というものが格好悪く思えて来た。そもそも小説家にとって、自分の文章の句読点以上にこだわるべきものなどあるだろうか。
「めざせ、読者のなれの果て」『私のことだま漂流記』より

山田詠美の半自伝的小説『私のことだま漂流記』は、彼女の幼少時代の思い出から始まり、どのようにして作家になったのかがわかる小説で、なるほど、こういうふうにして山田詠美の小説の世界は構築されていくのね、という納得する部分がたくさん登場する。
そして、それらの中にも詠美さんらしい一節が織り込まれているものだから、うかうかしていられない。
上記の文章にもまさにそんな詠美節が感じられる。
山田詠美の小説の肝は句読点だと思っているぼくは、この一文を読んで膝を打った。
例えば、デビュー作である。「ベッドタイムアイズ」の冒頭を思い出して欲しい。

スプーンは私をかわいがるのがとてもうまい。ただし、それは私の体を、であって、心では決して、ない。

凡人であれば「決してない」とするところを、詠美はわざわざ「決して、ない」と区切っているのである。
そこに作家としての並々ならぬ才能をぼくは感じるわけだ。
これは理屈ではなく、感覚的なものだと思う。
詠美の作品を注意深く読んでいると、そういう詠美なりの句読点の打ち方を感じる箇所がいくつもあり、やっぱりこの人は句読点を大切にする人なんだなと思うし、それこそが作家がこだわる点だと言っているのもうなづける。

【DATA】    
山田詠美「めざせ、読者のなれの果て」
講談社『私のことだま漂流記』
KEN'S NIGHT M5レフィル<方眼円盤集>
KEN'S NIGHT 1st Track 01 Blue Moon