CLUB AMY 365

山田詠美の文章をご紹介。詠美さんご本人の掲載許可済です。

Day 54th「こぎつねこん」

 私も死ぬのが恐い。けれど、想像がつかないからではないのだ。私が死を恐れるのは想像がつくからなのだ。私自身のことではない。私の周囲にいる人、とりわけ私を好きでいてくれる人の嘆きようが想像出来るから怖いのだ。彼らは、きっと泣くだろう。あの呑気な父でさえ、私の記憶には決してない、普通の涙を流して泣くだろう。男は、自分がいなくなることを思い、恐怖を覚え、私は後に残された人の悲しみを思い、胸を痛める。私は、死ぬこと自体は少しも恐くない。その瞬間に自分がなくなるのだから、とても気楽なもののような気がする。
「こぎつねこん」    『蝶々の纏足・風葬の教室』より  

「こぎつねこん」は、元々は新潮に発表され、その後、『風葬の教室』の単行本に収録された短編小説である。
転勤族だったという山田家の歴史を垣間見ることができる自伝的小説だとぼくは思っている。
そして、この短い作品の中にも、山田詠美独特の人生観のようなものが随所に現れていて、山田詠美を語る上で欠かせない作品なのではないだろうか。
上記の場面では、死について書かれているが、山田詠美はしばしば死について、上記のようなことを作品の中で述べていて、ぼくもまったく同じ意見なので、共感を覚える。
死そのものを恐れているのではなく、自分が死ぬことによって、悲しむ人がいることを恐れているのだ。
ところで、ぼくにとって、この作品はとても大きな意味を持つ作品でもある。
というのも、『放課後の音符』ですっかり山田詠美ワールドに魅了されたぼくは、その週の週末に神田の三省堂でその時発売されていた山田詠美の作品をすべて買いあさり、次から次へと読んでいったのだが、この作品を読んでいる時、あるフレーズが目に飛び込んできた。
朝、家族で食卓を囲む場面で「ブルックボンドの紅茶」というのが出て来たのだ。
当時ぼくはブルックボンドを取り扱う日本の紅茶会社に勤めていたのだ。これは運命に違いない!と思い、ファンレターを書いたのは、そのことがきっかけだったのだ。
もし、ぼくがここでこの作品に出会わなかったら、あるいはファンレターを書かなかったら、詠美さんから返事をもらうこともなかっただろうし、今のように自他ともに認める本人公認の山田詠美研究家にもならなかっただろう。
そんなこともあり、この作品はこれからもどんどん紹介したいと思っている。


【DATA】
山田詠美「こぎつねこん」
新潮文庫『蝶々の纏足・風葬の教室』
KEN'S NIGHT M5レフィル<流星摩天楼>
KEN'S NIGHT 1st Track 04 Night and Day