CLUB AMY 365

山田詠美の文章をご紹介。詠美さんご本人の掲載許可済です。

Day 274th 熱帯安楽椅子

男は私のなりゆき。そして、それこそが私の愛するものであったことを私は思い起こす。男の肌はいとしい。そして、男の吐息が調合する空気はかけがいのないものだ。愛しているという言葉、それはただの音楽だ。美しい音楽。軽々しく使われるべきあどけない言葉。私はこの島で決して性愛に不自由していなかった。けれど、恋することに不自由していた。
山田詠美「熱帯安楽椅子」
『熱帯安楽椅子』より

この物語は私が「男をひとりだけ選んで愛してしまった」というひとつの間違いを犯してしまったことから始まる。
それまでは、気楽な恋愛を楽しんでいたのに、ひとりの男に執着をし、愛するようになってから、私は彼を、そして、自分を束縛するようになった。
「愛する」という言葉を使うことによって、相手を縛り付け、そして、自分をも縛ることになり、苦しくなるということはよくあることだ。
本来はもっと軽い気持で使われるべき言葉であるのに、それが出来なくなってしまう。
そんなジレンマのようなものがこの文章から読み取れる。
【DATA】
山田詠美「熱帯安楽椅子」
集英社文庫『熱帯安楽椅子』
KEN'S NIGHT M5レフィル<彩色音楽集>
KEN'S NIGHT 3rd Track 08 It's Only A Paper Moon

Day 273rd 熱帯安楽椅子

私はぼんやりと雨を聴く。何度、この音を聴いたことだろう。時には同じ音、そして時には違う音。いずれにせよ、今日のように熱い調べを私は聴いたことがない。何故だろう。何故、今日は違って聴こえるのだろう。私の心臓は雨の音に同調する。私の皮膚は譜面を広げ雨樋からの雫を受け止める。私の額は吸い取り紙になり頭の中を湿らす。そこは海綿。経血をすべて吸い取ってしまうあの海綿。
山田詠美「熱帯安楽椅子」
『熱帯安楽椅子』より

当然といえば、当然のことではあるのだが、東京で感じる雨と、バリ島で感じる雨はまったく異なる。バリ島に行くときは、旅行者なので、仕事で雨の中を歩くこともないから、感じ方が変わってくるのは当然のことなのだが。それでも、やはり両者は根本的にどこか違うような気がする。
さらに、その雨を誰と一緒に聞くことになるのか、によっても、雨に対する印象も変わって来るに違いない。
以前葉山にあった夏限定のカフェで店長をしていた時、あいにく雨が降った朝、ぼくはちょっとしたコピーを呟いたことがある。

ひとりで見る雨はメランコリック
ふたりで見る雨はロマンティック
みんなで見る雨はドラマティック

というもの。
雨も、一緒にいる人によって、その調べを変えるんだよなぁと、詠美のこの文章を読んで思った。

【DATA】
山田詠美「熱帯安楽椅子」
集英社文庫『熱帯安楽椅子』
KEN'S NIGHT M5レフィル<雨景摩天楼>
KEN'S NIGHT 3rd Track 10 Unforgettable ※ラメ入り

Day 272nd 熱帯安楽椅子

私は急速に喉の乾きを覚える。激しくなりつつある雨がポーチに降りかかる。けれど、私の乾きは雨では癒せない。
山田詠美「熱帯安楽椅子」
『熱帯安楽椅子』より

ここでいう「喉の乾き」というのは、具体的にはどういうことを言うのであろうか。
それは心の乾きでもあるし、身体の乾きでもあるだろう。
身体の乾きだけだったら、雨に濡れることによって、ある程度は癒されるかもしれない。だが、心の乾きとなると、やはりそれだけでは無理だ。
ワヤンに抱かれることによってしか、どちらもちゃんとは癒されないのである。
性愛というのは、お互いの乾きを癒すために必要なことだと詠美はこの文章を通して教えてくれているような気がする。
【DATA】
山田詠美「熱帯安楽椅子」
集英社文庫『熱帯安楽椅子』
KEN'S NIGHT M5レフィル<流星摩天楼>
KEN'S NIGHT 2nd Bonus Track Don't Rain on My Parade

Day 271st 熱帯安楽椅子

 ワヤンが鍵を開けている間、私は屋根付きのポーチに置いてある籐椅子に腰をかける。そして、濡れたサンダルを足から外すために、テーブルに片足を載せる。サルンの前が割れ、私の脚の間からは暖まった匂いが流れ出して、ジンのそれに溶ける。
山田詠美「熱帯安楽椅子」
『熱帯安楽椅子』より

バリ島は、季節的には、雨季と乾季に分けられる。『熱帯安楽椅子』の主人公である「私」がバリ島を訪れたのは雨季と乾季の間の時期なので、両方を楽しむことができる時期でもある。
だから、作品中には、雨のシーンがとても多い。
東京の雨とバリ島の雨は、やはりどこか何かが違う気がする。バリ島の雨は土の匂いが濃厚に漂い、うっそうと茂った緑から発せられるむっとした匂いが特徴的。
そんな雨の様子がこの文章からも伝わってくる。
【DATA】
山田詠美「熱帯安楽椅子」
集英社文庫『熱帯安楽椅子』
KEN'S NIGHT M5レフィル<流星摩天楼>
KEN'S NIGHT 2nd Bonus Track Don't Rain on My Parade

Day 270th 熱帯安楽椅子

それになにより私に具体的な快楽を与えるとても物覚えのよい器官を持っている。そして、品の良い言葉を。必要のない、だからこそ、美しい音楽のように私の耳を濡らす言葉を。彼はひかえめな冗談も好きだ。私をくすぐる甘い冗談。私の指が生み出す心の吐瀉物とはまったく無縁の舌をくるむオブラート。それは、ねじ式の缶切りや巻きのいらない時計のように日常を便利にさせる。
山田詠美「熱帯安楽椅子」    
『熱帯安楽椅子』より    

よくよく読むと、非常にエロティックな場面なのだが、山田詠美の小説は官能的でありながらも、官能小説で終わらせていないのは、やはりその表現方法が文学的だからなのではないかと思う。
様々なメタファーを組み合わせて紡がれる文章は本当に美しくて、何度読んでも新鮮だし、ドキドキする。
【DATA】    
山田詠美「熱帯安楽椅子」    
集英社文庫『熱帯安楽椅子』    
KEN'S NIGHT M5レフィル<流星摩天楼>
KEN'S NIGHT 2nd Bonus Track Don't Rain on My Parade   

Day 269th 熱帯安楽椅子

私は自分の喉に届くものをすべて受け入れる。けれど、時には私の力の脱けた唇は彼の口づけをこぼしてしまうこともある。そんな時だけ、彼は少し意欲を持ち私の顎を片手でつかみ上を向かせる。決して押しつけがましくないやり方で。彼は私の心を、そして体すらも強姦しない。だから、私は彼といる。彼は波よりも静かだし、太陽よりも柔らかだ。
山田詠美「熱帯安楽椅子」
『熱帯安楽椅子』より

ワヤンとの情事の場面は濃厚な空気感を持ったまま描かれ続ける。そして、ふたりのやり取りの間から生まれる、様々な描写は熱量を読者に伝えてくれて、ぼくの心ははその文章を読むだけで、どっぷりとこの熱帯安楽椅子に座ることになるのだ。
【DATA】
山田詠美「熱帯安楽椅子」
集英社文庫『熱帯安楽椅子』
KEN'S NIGHT M5レフィル<流星摩天楼>
KEN'S NIGHT 1st Track 02 Autumn in New York

Day 268th 熱帯安楽椅子

 私は寺院の塀に寄りかかりワヤンと口づけをかわす。人気のない場所で私たちが目を合わせると彼の瞳は私に向かって溶けて来る。私は彼の唇を啜り込みながら、落ち着いてそれを味わう。それは酒のように芳醇ではなく、水のように乾きを癒すわけでもない。口に侵入する熱帯の果実。あの甘い汁をたらすだけの。
山田詠美「熱帯安楽椅子」
『熱帯安楽椅子』より

ホテルのボーイ、ワヤンとの情事の場面はとても官能的に描かれている。それまで「私」はタクシーのドライバーなどの現地の男との情事を楽しんでいたが、それらはすべてゆきずりだった。だが、ワヤンだけは彼女にとって特別な存在で、その描写はあきらかにそれまでの男たちとの情事とは異なっていて、濃厚で濃密。それを美しい文章で書き綴っているので、行間から熱い空気が流れてきそうだ。
【DATA】
山田詠美「熱帯安楽椅子」
集英社文庫『熱帯安楽椅子』
KEN'S NIGHT M5レフィル<流星摩天楼>
KEN'S NIGHT 3rd Track09 Preluede to a Kiss ※ラメ入り